道化師が描く、愛ある官能小説 >> 人妻官能小説 家庭内盗撮の妄想 

2007年07月20日

ライアーゲーム(LIAR GAME)とデスノート(DEATH NOTE)

 どちらも実写化された作品(ドラマと映画)に、戸田恵梨香(可愛いですねぇ)が出演している……という話ではありません。
 この両者には、際立って似ている部分と真逆の部分がいくつかあるので、対比してみるのはとても意義深いことだと感じます。
 
 両者の共通点は「ゲーム」を扱っているということ。ライアーゲームの方はまさにその通りだし、デスノートもルールがある中の戦いという点では、ゲームが題材と言っていいと思います。
 
 以下、具体的なストーリーに関するネタバレは書かないつもりですが、何をテーマとしているかについて私の考えを書きたいと思うので、未読の方はご注意願います。

 ゲームの分け方の一つに「ゼロ和ゲーム、非ゼロ和ゲーム」という区分があります。前者はゼロサムゲームともいい、ゲーム参加者の収支をすべて足すとプラスマイナス・ゼロになります。これに対して、後者はゼロになるとは限らないという違いがあります。
 
 ゼロ和ゲームを二人でする場合、利害は非常に単純化されます。相手の得が自分の損、自分の有利は相手の不利。将棋や囲碁が、まさにこれです。勝つためには、力で強引にねじ伏せたり、相手を出し抜いたり錯覚させることも必要になります。
 
 ゼロ和ゲームであっても、参加人数が増えると、直接に相手をやっつけるばかりでなく、どのプレーヤーと一時的に手を組むか等、いろいろな駆け引きが出来るようになります。
 また、ゲーム後に共謀した者の間で利害を分け合うという形を考えると、更に選択肢は広がります。
 
 現実世界は、非ゼロ和ゲームです。金銭の収支だけでなく、喜びを得ることができるか否かという軸で考えれば、それは明らかです。
 ただ、それを敢えてゼロ和ゲーム的に生きることは可能ですし、そうしている方も多いです。つまり、本来は存在しないルールを、多くは錯覚によってあると考えてしまう訳です。
 
 デスノートは善悪や正義をテーマにしたマンガではなく、極限の駆け引きと騙し合いを通じて、思考や推理の面白さを描いた作品です。なので、ゲームとしてのタイトさを求めるために、主人公の夜神月の思考は、実にゼロ和ゲーム的です。
 
 キラとしての世界支配を果たすためならば、利用できるものはすべて利用する。人を騙すことも裏切ることも、そして殺すことすらも、身内以外の者に対しては平気でできる。ただ、目的が「支配」ですから、知略の使い方はおのずと直線的になります。
 
 一方のライアーゲーム。連載途中なのではっきりとは言えませんが、ゲームとしての状況はかなり似ています。事務局側が提示するルールは、ゼロ和ゲーム的です。つまり、他人の損が自分の得になるという状況。
 そして、主人公の一人である秋山深一の行動は、人を騙すことを躊躇しないという点で、夜神によく似ています。

 ただ、主人公(たち)の目的は大きく違っています。神崎直や秋山がゲームに関わる動機は、夜神月やLとは異質です。
 また、ゲームのルールや環境が、死神またはゲーム主催者によって与えられたものであるのは共通していますが、後者の場合、その意図が未だ不明だという点が大きく異なります。
 
 このライアーゲーム主催者の意図が何であるか、それを解き明かす事が、このマンガのテーマの一つであるのは確かです。
 そして、そのヒントはここ(単行本4巻)までの登場人物たちの言動に、散りばめられていると感じます。
 
 敗者復活戦であるリストラゲーム終了時に、神崎直が予想したゲームの意味(「ゲーム名そのものがアイロニーではないのか?」という意味の発言)は確かに大ヒントですが、真相の三分の一という辺りだと思います。
 
 その後にファミレスで、秋山が直に言ったセリフも別の三分の一。「信じる」という言葉は、自分の選択・行動に対する責任放棄のためにしばしば使われます。これはいわゆる「盲信」です。そこからは、有効な知恵も正しい判断も生まれ得ない。
 
 私の予想は、直の発言の更に裏。このゲームはやっぱり「嘘つきゲーム」だと思います。ただ、期待される嘘は、これまでのゲームシーンの描写にもしばしばあるように「双方がプラスになるような嘘」。究極は、それを更に突き詰めた「全員がプラスになるような嘘」です。
 
 人間の本質は、性善説か性悪説かという二択では決められないものだと私は思います。漱石が書いたように「平生はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざというまぎわに、急に悪人に変わる」のが人間。
 
 つまり、自分で観察し判断することで、自身の利害にしか関心がない人たち、自身が得をするためには人を騙してもいいと思っている人たちを、その欲に沿って無理なく動かし、双方プラス・全体プラスを実現する手腕を問う ── これこそがライアーゲームの趣旨ではないでしょうか。
 
 真相の残り三分の一(というより、直と秋山の言動から導き出される帰結)は、これであるに違いない。私はそう思います。同時にこれは、社会における実際的な処世術そのものではないか。そうも感じます。
 
 論理やトリック、どんでん返し的なストーリー展開に、ついつい目を奪われてしまいますが、実はライアーゲームというマンガは、現代社会に求められるパラダイムシフトを描いたものだと思います。この事も合わせて、今後の展開がとても楽しみです。
posted by 官能小説書きの道化師 at 16:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 物語を味わう楽しみ
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