道化師が描く、愛ある官能小説 >> 人妻官能小説 家庭内盗撮の妄想 

2007年05月21日

官能小説の人称と視点(3)

 「神の視点」は他ジャンルの小説では、ほとんど用途がなさそうに見える。なのに、いわゆる「濡れ場」限定であるにせよ、官能小説ではその視点が使われるのは何故か。
 それは、犯す側と犯される側、責める側と責められる側、両方の心理・官能を描きたいからである。
 
 「官能小説の人称と視点(2)」で、私はそう結論づけました。そして、この手法は実際に有効だと感じます。では、他の小説では読者が混乱してしまう事が多いのに、官能小説だと混乱せずに済むのは何故か?
 誤解を恐れずに言えば、描く内容が単純だからです。

 これは、物語の座標軸が明確だということでもあります。小説世界の広がりを3次元的だとすると(本来はN次元として捉えるべきでしょうが)、イメージとして恋愛小説は2次元、官能小説は1次元と言える気がします。
 
 もちろん、以前「官能小説作品を位置づける方針の素案」で考えたように、ジャンルの中はバラエティに富んでいます。しかし、大きな意味で言えば、官能小説とは、男または女(または、その両方)が性的な快感を得るという内容のお話です。
 
 誰が気持ちいいのか、どんな風に気持ちいいのか、どうして気持ちいいのか ── 煎じ詰めれば、その表現に尽きると言えます。つまり、混乱の起きようがないほどシンプルなのです。
 
 もちろん、単純だからつまらないという事はありません。いろいろな要素が絡むことにより、官能的な要素に読む側が集中できなくなるという面もあります。その辺りは「官能小説に『人物』は必要か?」に書いたように、作者の考え方とバランスの取り方にもよるのでしょう。

 なので、神の視点を使っても、同一シーンの登場人物があまりに多人数にならない限り、マイナスは生まれにくいと考えられます。もちろん、描写があいまいだったり、文法的に変だったりすると、混乱して当然ですが。
 
 
 ただ、官能小説も「作品」である限りは、同工異曲を繰り返しているばかりでは飽きてくる。読む側も、そして書く側もそうでしょう。
 つまり、物語に変化を持たせたくなる訳ですが、そのやり方・アプローチについて、次回は分類を試みたいと思います。
posted by 官能小説書きの道化師 at 14:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 官能小説について考える
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