道化師が描く、愛ある官能小説 >> 人妻官能小説 家庭内盗撮の妄想 

2007年05月01日

官能小説の人称と視点(2)

 「小説の人称と視点」にあるように、一人称小説には「著者・読者ともに語り手へ感情移入しやすい」という特徴があります。これは書きやすさと、ある種の読みやすさにつながっていると言えます。
 
 一方で、読者に提供できる情報が制限されます。つまり、視点のある登場人物=語り手が見聞きしていること、知っている筈の範囲でしか書けません。語り手自身を全知全能の神にするという手もなくはないですが、特殊なのは確かでしょう。
 
 また、章や文章の区切ごとに語り手を替えてゆくことで、一人称のこの弱点を補おうとする書き方もあります。ただ、同一シーン内での視点変更は、ほぼ間違いなく混乱を招くので、タブーとされています。
 
 余談ですが、この「制限される」という特徴は、常にマイナスに作用するとは限りません。
 三人称ではアンフェアだと受け取られてしまう書き方が、キーとなる情報を自然な形で隠しておける(その時点で、語り手はそれを知らなかったのだから)のは、上手く使うと効果的なトリックを仕掛ける事ができます。
 
 最近だと、乙一氏がこの一人称を活かした手法使いの名手と言えそうです。同じ一人称でも、犯人を語り手にして、かつ情報を故意に隠蔽すると「犯人が、自分がのした犯罪について、知らないのはおかしい」と非難されることになりますが。
 
 
 さて、官能小説で三人称が多用される最大の理由は、同一シーン内で視点を変えたいからだと、私は考えます。端的に言えば、犯す側の男の興奮を描きつつ、その間に女性の性感の高まりや心理を挟み込みたい訳です。

 もちろん、どちらが主かは書き方によるので、逆のケースもあるでしょうが、いずれにせよセックスの最中やSMプレイの様子を、多面的というか、多視点的・多感覚的に描写したいという要求があると考えられます。
 
 さらに、官能小説が扱う主たる題材は、人間の感覚(性的な意味でも、それ以外の意味でも)なので、「どう見えているか」だけでなく「どう感じているか」の描写が不可欠になります。その要件を満たしてくれるのが、三人称形式という訳です。
 
 これが唯一の理由ではないでしょうが、おそらく最大の理由であるのは確かかと思われます。しかし、どうしても全体がオープンな書き方になるため、読者に対してサプライズを仕掛ける幅も、自ずと制限されてしまう面があるように感じます。
 
 登場人物の内面を描写する際に、心理や思考の一部を意識的に書かずにおくことはできますが、それはやはり不自然さを残します。なので、官能サスペンスというジャンルは、三人称形式を採る場合、とても難度の高い書き方を要求されることになります。
 
 それはともかく、「小説の人称と視点」では、神の視点小説は何に使えるかわからないとされていますが、私は官能小説の表現手法が、この「神の視点」に近いのではないかと考えています。

この続きは、こちらで >> 官能小説の人称と視点(3)
posted by 官能小説書きの道化師 at 09:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 官能小説について考える
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