道化師が描く、愛ある官能小説 >> 人妻官能小説 家庭内盗撮の妄想 

2007年01月29日

官能小説の人称と視点(1)

 「人称」をgoo国語辞書で引くと、「文法で、言語主体が話し手か聞き手か、またはそれ以外の第三者であるかの区別をいう。」とありました。確かに、そういう意味ですが、どうもピンと来にくい表現ですね。正確さを期するためには、仕方がないのだろうけど。
 
 外国語の勉強などでよく出てくる、この「人称」という概念ですが、日常会話では余り意識されないのが普通です。これは基本的に私たちが、自分の視点で見たまま・感じたままを、一人称である「私は〜」「俺が〜」という形式で喋っているからでしょう。
 
 で、この元々の用法から派生した使い方として、小説の叙述形式を分類する上での「人称」があります。これについては、「資料室」の「小説の人称と視点」に、分かりやすくまとめられています。
 
 一人称形式は感覚的に受け入れやすく、書く時も紛れが生じにくい。それに対して、三人称形式は「視点」によって複数の種類があるため、少々難解です。説明を読むと、なるほどと感じるのですが、いざ自分で書こうとすると、どの視点を採るべきか迷ったり、途中で混乱したりしがちです。
 
 特に最近の傾向として、三人称の地の文(科白以外の箇所)に一人称的記述を混ぜる手法が広く使われ始めているため、余計に境界線が曖昧になっているようでもあります。
 普通は嫌われる視点の揺れを、逆に利用するこの技。物書きの先輩であるAXさん(サイトは、A-X'sPAGE ! with ArsAmatoria)によれば、「宮部る(みやべ・る)」と呼ぶらしいです。(笑)<流石、言い得て妙だー
 
 
 小説表現における一人称と三人称。もちろん、どちらが正しいとか、優れているといったものではありません。原則的にはジャンルという大きな括りによってではなく、個々のテーマやストーリーの特質に合わせて選ぶべきだと考えられます。
 
 ただ、上記の「資料室」にもあるように、神の視点は使い方がかなり難しい。心理描写が並列的に入り乱れ、どうしても分かりにくいストーリーになり、結果として読み手の感情移入が困難になる。これは、小説という表現形態にとって、致命的なことだと思います。
 
 官能小説に限って言えば、三人称作品の方が圧倒的であるように見受けられます。オンライン作品には一人称の官能小説も多いし、商業でも宇野作品のような女性独白体もあるけれど、主流はやはり三人称小説。しかもその中には、難しい筈の「神の視点」に近い作品もある。
 
 この事は、一般的な官能小説が扱う題材や筋立て、書き手(や編集者)が読者に提供しようとしている悦びの質と、無関係ではないでしょう。そして、官能小説ならではの特徴が、「小説」としての面白さと対立してしまう事もままある ── 読み手として、また書き手として、私はそう感じています。

この続きは、こちらで >> 官能小説の人称と視点(2)
posted by 官能小説書きの道化師 at 21:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 官能小説について考える
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