道化師が描く、愛ある官能小説 >> 人妻官能小説 家庭内盗撮の妄想 

2006年12月10日

官能小説に『人物』は必要か?(1)

 前回の「官能小説作品を位置づける方針の素案」の中で、第一の軸として挙げた「官能小説の登場人物に、幅広い感情を求めるか否か」について、もう少し掘り下げて考えてみます。
 
 小説とは人間を描くものだ、という言葉があります。卓越したアイディア・ストーリーや本格推理など、必ずしも『人間』が描かれている必要のない分野もあるものの、ほとんどの小説の登場人物には、厚みと現実感が要求されるものだと思います。
 
 ここで言う『厚み』とは、キャラクターの存在・思考・行動の一貫性であり、『現実感』とは、それらの妥当性だと言えるでしょう。
 だから、現実そのものである必要はないし、そうであれば却って退屈。読んでいる間、違和感なく存在を意識できればいい訳で、それを生み出すのが作者の力量だと感じます。
 
 では、どうしてアイディア・ストーリーや本格推理では、深みのある人物が必須ではなく、時には邪魔ですらあるのか? それは、登場人物同士の対立・共感・葛藤などとは異なる世界の面白さが、メインテーマだからです。
 
 チェスの勝負をするのに、高価な宝石製の駒を使ったとしたら、その輝きや美術品として価値に意識が行って、勝負に集中できない。それと似ている気がします。という例えをしつつ、私自身はそんな駒でチェスをしたことはないですけど。(苦笑
 
 シンプルなデザインの駒だからこそ、勝負そのものを楽しめる。アイディアやトリックの妙で魅せる小説の場合、これと同じ様なことはあるでしょう。とは言え、あくまで程度問題。本格推理であれ、あまりに一貫性・妥当性を欠いたキャラでは、読んでいてシラけてしまいます。
 
 
 さて問題は、我らが官能小説ではどうなのかです。官能小説には、リアリティのある人物が存在した方がいいのか? それとも、類型的かつ記号性の高いキャラクターで十分なのか? あるいは、もっと積極的に、そういうキャラであるべきなのか?
 
 もちろんこれは、作者が何を書きたいかによります。エロ行為そのものよりも、それを行う人間の心理や、結果として生じる人間ドラマを描きたいなら、しっかりした人物描写が不可欠な筈。
 しかも、文章として表面に出てこない生い立ちや価値観なども、明確かつ矛盾なく組み立てておく必要があります。
 
 私自身は、成功しているかは別にして、このアプローチを好む書き手です。しかし、すべての官能小説・エロ小説が、この描き方を採っている訳ではなく、これを志向することが常に正しいとも思えません。何故、そう考えるかについては、次回(2)として書きます。

この続きは、こちらで >> 官能小説に『人物』は必要か?(2)
posted by 官能小説書きの道化師 at 11:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 官能小説について考える
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