道化師が描く、愛ある官能小説 >> 人妻官能小説 家庭内盗撮の妄想 

2006年09月18日

自作の官能小説を、Webで公開する三つの動機(3)

 意志と願望は、似て非なるものだと言われます。達成へのハードルが高い場合、実現の欲求が願望レベルでは、エネルギーが決定的に不足してしまうものです。私自身も身につまされています。
 
 官能小説を書いてWebに公開する三番目の動機、それは自己練磨・自己実現だと思います。「自己実現」は、当初は第一の動機として挙げていましたが、この三番目にこそふさわしいと判断し、あちらは「自己表現」と変えました。
 
 上手くなりたいなぁ。下手よりも上手なほうがいい ── これは願望。上手くならなければ自分じゃない。石に噛りついても、上手くなってやる ── これが意志、という分け方が出来るほど簡単な話ではありませんが、エクスキューズ(言い訳)を簡単に受け入れてしまうなら、それは単なる願望なのかも知れません。
 
 いい作品が生み出せるようになった先に何があるのか、それは人それぞれだと思います。プロの官能小説作家になることが目標の人もいれば、自分の書きたいものを、適切に表現できれば満足という書き手もいらっしゃいます。ここでは前者をプロ志向、後者をアマ志向と区別して考えましょう。
 
 
 プロ志向の場合、Webサイトは修練の場である筈です。多くの人に読んでもらうことで、感想や時には批判もいただける。
 そうして官能小説書きとしての技量を磨き、いつか別の作品を出版社に持ち込んだり、新人賞に応募したりというパターンがひとつ。そして、掲載作品をそのまま書籍化という狙いが、もうひとつ。
 
 プロデビューを当面の目標に掲げて上達を目指す時、一つ目の動機との違いは、端的に言えば現在の自分でよしとするか否か。二つ目の動機との違いは『現在』を売るか、より磨き上げた『未来』を売るか。無論、誰も買ってくれない可能性もありますが。
 
 どういう形であれ、プロを目指すのは覚悟が必要です。しかし、どこに向かって進めばいいかは明白です。
 ただ、官能小説の場合、上手ければいいというものではないと言うか、求められる上手さの質が違うのは「官能小説は、なぜ類型的になるのか?」で考えた通りなので、特有の難しさがあります。
 
 
 これに対して、プロを目指さずに、あくまでもアマとして技術向上を志向するのは、モチベーション維持が極めて難しい。
 類型性が高く、己れ自身の中でも同工異曲になりやすいこのジャンルで書き続けるには、よほど描きたい『何か』がなければ困難に感じます。
 
 既存の枠組みに囚われない、新しいものを書きたい ── そう標榜すること自体は容易です。しかし、書きたい作品が『小説』そのものなのか、官能小説に固有の何かであるのかは、辿る道に大きく影響を与えるでしょう。
 それほど官能小説は他の小説と違っているし、書き手を惹きつけ惑わし、溺れさせてしまう力も半端ではない気がします。
 
 もちろん自己顕示・自己表現、金儲け、修練による技術向上の三つの動機は、アフィリエイトという例外はあれど、ほとんどが互いに並立させることができます。そして、どれかが他よりも正しいとか、尊いとかはない筈。各人が何を重く考えるか、それだけです。

 ただ、自分にとっての優先順位を常に意識しておかないと、何をすることが喜びであるのかが曖昧になり、他人の要望や期待に振り回されるだけになってしまう。それは、書き手にとってとても恐ろしいことだと感じます。
posted by 官能小説書きの道化師 at 23:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 官能小説について考える
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