道化師が描く、愛ある官能小説 >> 人妻官能小説 家庭内盗撮の妄想 

2006年08月28日

官能小説は、なぜ類型的になるのか?

 もちろん例外はありますが、恋愛小説というジャンルは、展開の幅が限られているように感じます。これは、テーマが「恋愛」に限られる訳ですから、生まれながらに背負っている宿命のようなものだとも言えます。
 
 その枠を突き破るために、恋愛と他のテーマを組み合わせることがあります。つまり、歴史小説であると同時に、恋愛小説でもあるといった具合に。ただ、ペアであるテーマの親和性が低かったり、それぞれの掘り下げが不十分だと、単独テーマのもの以上に中途半端で不出来な作品になる恐れもありますが。
 
 また、恋愛小説に徹した作品であっても、できるだけ設定や展開に変化をつけ、新しさを演出しようとします。読者は、いわゆる王道的な展開を望んでいる反面、気持ちよく裏切って欲しいと願い、「そうきたか」感を期待しているものです。
 
 
 これに対して官能小説は、求められる『型』がとても明確で、それは時代が移ろっても、ほとんど変わらないように見えます。奇抜な展開にすると、却って読者の興味を削ぐことすらあるでしょう。
 
 レイプがテーマの官能小説では、暴行は成功しなくてはならないし、犯された女性は途中から感じ始め、必ず「もっとして」とおねだりをしなくてはならない。正義の味方が、暴漢たちをやっつけ切ってはいけない。たまさか危機を脱出したら、それはもっと深い罠への誘導であることが望ましい。
 
 多くの読者が望むから、作者はベタな展開を選び、結果的にワンパターンになるのは、間違いなくあるでしょう。商業的にも、適度に類型的なストーリーの官能小説が、売れ線になっている気がします。
 
 つまり、官能小説というものを外側から見た時、結局はどれもみんな同じじゃないかと感じるのは、作者や編集者がそれを意図しているから。ヌキ場が生々しいことが大切なのであって、読む側はストーリー展開の面白さを望んでいるわけではないのです。
 
 
 「官能小説と恋愛小説」で述べた、テーマの反社会性とともに、官能小説の書き手が軽く見られてしまう原因は、ここら辺りにあると思われます。手本を半紙の下に敷いて、なぞり書きで習字をするようなもの、というと言い過ぎかもですが、誰が書いても一緒じゃないかというわけです。
 
 その印象を強化するのが、ネット上の官能小説でよく見かける擬音やあえぎ声(「あはぁん」「ドピュッ」など)ではないでしょうか。私自身も使いますが、この伝家の宝刀に頼りすぎると、自分の他の作品や人様の官能小説と、読んだ時の印象が酷似してしまうのも事実です。
 
 擬音は、文章の表現法として古くからあったものですが、こぞって使われ始めたのは、やはりマンガやアニメから影響が大きい気がします。
 ただ、絵で個性が出せるマンガや、声の調子や動きで違いを表せるアニメに比べて、小説で同じ事をすると、とことん類型的に見えてしまうのはあるでしょう。
 
 また、している行為はどれも大して違わないので、同じような表現になっても当たり前。そう開き直ってしまうことも出来ます。しかし、それだと類型的なジャンルというそしりから逃れることはできません。逃れる必要はないじゃないか、という意見もあるでしょうけど。
 
 
 市販の官能小説の目的は、当然ながら多く売ることです。それに対して、ネット上で無料公開されている官能小説が書かれる目的は、バラつきがあるように見えます。「やがてはプロに」という人もいれば、「純粋に楽しみとして」という方もいらっしゃる筈です。
 
 次回は、そうした作者のスタンスと、テーマ、表現、ストーリー展開などとの関連性について考えてみたいと思います。
posted by 官能小説書きの道化師 at 19:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 官能小説について考える
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